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京都1日目その3水路閣
2012 / 02 / 29 ( Wed )
ここの上を琵琶湖の疎水が

こんなふうに流れています。



それにしても何故お寺の中に?
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南禅寺を地図で調べて空中写真を見てみましたが、とっても広いのですね。
写真の水道は明治時代あたりの建造物なのでしょうか?古い煉瓦が味のある雰囲気を醸していますね。
HIZAKI
琵琶湖疎水と水路閣について
HIZAKIさん、今日も見てくれてありがとう!
南禅寺広いでしょ?奥の院へはちょっとした山登りでした。南禅寺だけでなく京都のお寺は想像もつかないようなスケールのものがありますね。以前東福寺に行った時にもその塔頭寺院の多さとお寺の大きさに驚きました。
受け売りですが、疎水と水路閣にはこんなふうな歴史があります。
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第三代京都府知事の北垣国道氏が首都機能移転後の京都を復興させようと維新以来の京都府政の宿願だった琵琶湖疎水計画を明治14年に実行。
地下水か、北方の山々に流れを発する川しかなかった京都に琵琶湖から山をうがって水路を造るというもの。
滋賀県の大津市の三井寺近くから長等山にトンネルをつくり水路を確保、山科盆地の山々にもトンネルをうがち、日ノ岡山のトンネルを掘る。長等山の第一トンネル(2,436m)は当時最長のトンネルだったそう。
明治5年に開通した新橋~横浜間の日本最初の鉄道は、外国人技術者の設計・監督によるものだったが、琵琶湖疎水工事は設計、工事全て日本人の手によるもの。
21歳の田邊朔朗が責任者として抜擢されローマの水道橋を模した水路閣が設計される。
南禅寺の中にこの建造物を作る計画には、当時反対もあったという。
疎水の完成は1890年。完成に伴い日本初の水力発電所もできた。
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疎水の水は現在でも一帯の旧別荘群や瓢亭の庭に取り込まれ池や滝など風情ある情景をつくりだしています。